私には大学時代の友達(クラスメート)でとても頭のいい友人がおりまして、大学卒業後、彼は別の大学院に進み修士となり、とある大手シンクタンクに入社し、働きながら再び大学院で今度は博士課程を取得し博士となりました。
私の大学はいわゆる6大学に入れない2.3流の大学です。
彼は其処から最終的には6大学クラスの大学院まで登りつめ博士になったわけですが、今年から彼は棒シンクタンクを辞めて都内の大学に転職し助教授として働くことになりました。
一方話が変わり、私は社会人に成ってから福沢諭吉さんが作ったK大学の出の年下の青年に会いました。彼は初めから大学教授を目指す教育者で、政治学を研究する子でした。
私が出会ったときはK大の修士でそのご、成績の優秀さが認められ国の援助を受けて国費留学で海外の大学院で博士号を取得します。
その後、K大の職員となり各提携大学の講師として活動します。
それから10年の月日がたちました。
で今回、気がついたのは何と私の大学時代の友人とそのK大出身の子が同じ大学の同じ学部に在籍していたのです。立場は先ほど言ったように
大学の友人⇒助教授(本職)
K大の子⇒非常勤講師(バイト)
つまり、大学時代の友人はいわゆる大学と言う社会で下積みをしないまま助教授になり、10年以上現場で下積みをしているK大の子はバイトのままと言うことです。
流石にこれには驚きを隠せませんでした。
良く、巷では大学の教授職のポストは少なく、若い研究者があまりに余っているという話は聞いていましたが、まさにこれなのかと感じた次第です。
イメージ的に
バイト講師⇒専任講師⇒助教授⇒教授という一つの出世サイクルが大学の中にはできているはずですが、もはやそんなものは崩壊しており
会社員⇒助教授または教授 なんていう事もありえるわけですね。
確かに有能な会社員はみんなそれなりの学位を持っていますし、語学も話せるバリバリのスーパーサラリーマンは存在します。
また、プレゼンなど経験豊富ですし人前で話すことには長けています。
学生からしてみても、社会、ことビジネスの世界に直結した担当教授の教えのほうが世間ずれしていないし、リアルタイムであり且つ自身の就職活動に対してもそれなりの恩恵があることだってあるでしょう。
大学は学生を育てつつ、いい就職先に送り届けられるかが生命線ですからお互いにとってwinwinに成る。なるほど、大学側も考えているんだな。
教育現場にも有る意味恐ろしさを感じた。