んー、いきなりですが賛否両論ありますが、シリアで拘束されたジャーナリストか3年ぶりに解放されましたね。いろいろなところで賛否両論、当たり前と言いながら物議がかもし出されています。
3億円の保釈金を払っての開放と言う話もあり、じゃーそのお金はどこから出たんだ?
ような話題もあり、全く関係の無い人たちからすれば税金なんじゃないか?
なんて話もあり物議が沸き起こっています。
日本政府はテロとの戦いもあり身代金を渡すことは出来ませんから第三国が仲裁して払って解放させるという方法しかなかったのかなと思います。
ただ、その財源は確かに真相を究明したいものです。
仮に国民の税金だとすればそれは話は別ですので。
しかしながら、政府は政府として国として本国民を守る義務がありますから、そのための努力はしなければならないことは間違いが無い。
ある人は、勝手に戦地に行って、勝手に捕まったんだから死んで当たり前。と言う人も居ます。
それはそれで私は正論だと思う。
これは難しい話で、じゃーだからと言って戦地で何が起こっているのかを知らないままでいいのか?
という事もあるわけです。
いわゆる知る権利というものです。
日本だけで生きて居ればいいと言う人には、他国で何が起ころうが別にどうでもいい話ですが、今は国際化していますから、他国の情報が必要な人もいるわけです。
実際、他国とは言え人が殺されている現場で、何も関係ない民間人が虐殺されていたらどう思いますか?人として、それはおかしいと思うこともあるでしょう。
そういう意味では、現地の情報を正確に教える人は必要と言うことになります。
先の東北震災、原発問題を見ても、当時報道が規制され、メトロダウンが起こっていたのにそれを公表せず報道規制したのは日本も同じです。水素爆発の映像が出てその後いっせいに情報が出てきたときの感覚を私は覚えています。
情報を正確に引き出せない、知ることの出来ない状況はとても恐ろしいと感じました。
海外メディアのほうが日本の報道よりも正確で詳しい情報が出ていて、当時東京に住んでいた外国人は我先にと大阪に逃げていったのを覚えていますか?
結局のところ結論は出ない問題なのですが、ただ何と言うか、フリーと言う立場での行動と言うものに関して少し考えなければならないんじゃないかとも思います。たとえば、戦地活動は海外メディアも含めて一つの塊として行動するとか、最低限のリスクヘッジはすべきなのではないかとかと考えます。
世界が平和であることはあくまで理想であり願望、実質的には限りなく不可能なことです。
人種・宗教・経済レベル、それぞれが違うわけだからどっかで調和を図らないとどうにも成りません。
日本人ももう少し、世界に目を向けるなりすればちょっとは考え方も変わるかなとそう思う今日この頃です。